私は、機械式とは何ですか?、クオーツとは何ですか?、ムーブメントとは何ですか? などと、初歩的な質問を次々としてしまった。彼は、たとえついていない日でも、パッとしないコースだとしても、雨の日でさえも、ゴルフを愛する人のような辛抱強さをもっていた。彼は自分のロレックスはGMTマスターで、トラベルウォッチであると言うのだが、これに私は困惑させられた。なぜなら、トラベルウォッチは旅行用の歯ブラシや目覚まし時計のようなものだと私は思っていたからである。それから彼はデイトナ、デイデイト、サブマリーナーの話をしてくれるのだが、この時点で私は彼に、どれも私にとってはただのロレックスだと言ってしまった。
また、こうした基本的な情報を得られたことは非常にありがたく、ここ数カ月の間に人々がロレックスについて言っていたことを必要な文脈で理解することができたのだが、私はおそらく時計ブランドについて基本的なこと以上のことを知りたいと思う人間ではないのだろうと考えてしまった。ウィリアムズ氏もまた、そのような人であることが分かった。「私に細かいことを言わないでくれ、知りたくないと職場でジョークを言っています」と彼は言う。「私は、全ての微妙な差異にこだわる人間ではありませんし、おそらく一生読まないであろう時計の本を棚に並べています。私が時計メーカーのCEOと会ったら、その美意識について話したいと思うでしょう。そのブランドが本物の時計を作るかどうかは知りたいですが、私はムーブメントにはこだわりませんし、何が評価されるかを考えたり、良い投資先を探したりすることもありません」
この言葉には私も共感するものがあった。私たちは、同じ考えをもっているようだった。1968年製のムーンウォッチであろうが、台湾でセイコーボーイと呼ばれる人から手に入れた300ドルのカスタムメイドのセイコーであろうが、あるいは私がフォントと赤い秒針が気に入って買ったばかりのベラルーシ製の120ドルのルーチであろうと、時計についてせいぜい言えること、そして最も重要なことは、単に“カッコいい”ということだけなのだ。
IWC Pilot watches in a display
ウィリアムズ氏のコレクションにあった、3本のIWC パイロットウォッチ。
私は、彼が時計や洋服の良さを家族から教わったのだろうと思ったのだが、彼は首を振って肩をすくめ、その表情は全てが謎であることを示唆していた。彼の母親は看護師、父親は造園業を営んでいたが、二人とも時計やファッションには関心がなかった。「私はいつも自分の欲しい服にはとことんこだわっていました 」と彼は言う。「母と一緒に新学期に備えた買い物に出かけたら、母を怒らせていたでしょう」。彼は生まれつきそうだったようだ。
彼の時計コレクターの定義はかなり幅広いもので、嘆かわしくもあり、面白くもあると思った。「コレクターとは、人と時計の話をしたり、Instagramやインターネットで時計を見たりする時間が長い人。大好きなものについて考え、探し、見つけ出し、買おうとし、最終的には買ってしまう人。ハイテンションになれる人。それを着け、しまい込み、また取り出しては興奮する人。そして、次の時計を探し始める人です」
まだ読んでもいない時計の本1冊しかもっていないが、これは私が今の時点でまさに感じていることであり、彼もこのように感じているというのは、私のコレクターとしての将来にとっては良い兆候である。時計コレクターになるために特別な条件をクリアする必要などなく、時計を買ったばかりなのに、もう1本欲しくなるとか、必ずしも全ての時計を欲しがる必要はなく、欲しいものだけを買えばいいのだ。私がこれまでに何かを集めたことがあるとすれば、子供の頃のマダム・アレクサンダーの人形ぐらいだろう。髪の色、身長、ドレスのスタイルなど、ある程度の種類を揃える必要があると感じたことを覚えているが、一番集めたときでも人形は4つしかなく、でもこれで十分だと思っていた。
IWC アイダブリューシー 時計:https://www.gmt-j.com/maker/IWC